illusion is mine

 最近、自分の所属する研究室で一緒に働いていた人が退職した。仕事上の相性がとてもよく、また一時期はほとんど毎日顔をあわせて働いていたのでとても寂しい。最後に会い、仕事の引き継ぎなどを終えて別れる際、僕は非常に微妙な表情をしていた。このような別れの時、僕はどんな表情をすればいいのかわからなくなる。悲しみ過ぎてもおかしいし、あまりにあっけらかんとしているのもおかしい気がする。でも、こういう別れをした人ほどともすれば、最後の別れになってしまうことが経験的に多い。これからこういう別れが増えていくんだろう。餞別の品をもらったので大切に使いたいと思う。

おやすみ

 2015年が終わる。来年はもちろん2016年なわけだけど、なんとなく字面がしっくりとこない。

 終わりを意識することが多くなったように思う。一年が終わる、学生生活が終わる、恋が終わる。何かをやろう、どこかに行こうと思うのも何かをはじめることができるのは若いうちだから、社会に出たら時間がなくなるからという思いが僕の中の根底にあるからかもしれない。真剣にやっていることほど終わりを意識していて焦燥感がいつも、僕の周りをまとわりついている。喧騒の中にいる時、友人と話す時、色欲に溺れる時、焦りは消えるのだけど独りになった時に必ずそれらはおそってくる。もちろん楽しい時間は大事なのだけどそれが生活の中心になってはいけない。焦燥感から逃げられる一番の方法はただ、自分に必要な鍛錬を黙々とこなすことだけだ。頂は高い。

 

以上、完全に自戒

Knowing She Would

 座右の銘、というものが僕はすごく好きで周りの人がどんな座右の銘を持っているのかが気になっています。インターネットに偉人の言葉から、Twitterのつぶやきまであるような環境の中、僕たちは日々いろいろな言葉に触れている。そして、ほとんど(僕の場合は)それを忘れている。情報が豊かにある、ということはとてもいいことだけどその中から自分の好みの一文を集め、さらに選別するということは結構、体力を使う行為である。だから、座右の銘というのは一事が万事ではないけれど、話し方と合わせて、その人の雰囲気や考え方みたいなものが感じ取れるような気がします。まあ、訊くのはなんとなくその人を値踏みするような気がしてほとんど人に訊いたことはないんですけど。

 

 僕の座右の銘は 神は細部に宿る です。今のところは。以前は 為せば成る でした。なんとなくですが、日々の生活の中でその言葉を実感することが多くてこれになりました。解釈は人それぞれだと思いますけど僕の場合はこんな感じです。

 ある一連の動作は細分化できることが多い。外科手術を例に挙げると、一件難しそうに見えても基本手技の繰り返しなので結局は一回の切開、結紮などを完璧に近い完成度で、できるかということが大事でその積み重ねとしてただ、結果があるだけである。

このような考えは、ほとんどの物事に当てはまると思います。将来、社会に出た時に自分の仕事のどの部分を細くみられても恥ずかしくないようにありたい。

φ

 今まで幾つかのスポーツをそれなりに一生懸命やってきたけど、やってきて得たものは沢山ある。多くの友人、そして人生の教訓みたいなものを、まさに自分の身体で実感として得ることができた。

 スポーツは勉強に比べて努力が報われることが多くはなかったと思う、僕の場合は。ある一定以上のレベルになるとどうしても、まず最初に才能、センスというようなものが必要でそこからどれだけ努力をするかの勝負が始まる。僕は客観的にみて、センスがあるとは言いがたく、スタート地点に立つことができなかった。それでも、一流のステージで勝負がしたくて、たくさん練習した。本当にたくさん練習した。結局、結果を出すことはできなかったけど多くのものを自分の身体で感じることができた。長い時間をかけて、それは僕の身体全体に染み渡った。

 得た考えの一つに、人生自分の思い通りにならないことの方が、思い通りになることより多い、ということがある。これは人によって様々だと思うが、僕の場合は悔しいことにこうだった。それでも自分の勝ちたい場所では努力を惜しんではいけない。全力で頑張っても報われないことはあるし、それはしょうがないことだ。努力が報われないことが多々あっても、それが努力をしない理由にはならないし勝負に勝つには前に進むしかない。

anschluss

 長期的な時間の単位としては何が一番使われるのだろう?干支が一周回る12年間、もしくはdecadeという言葉があるように10年間が一般的なのかな。自分の10、12年前なんて全く覚えていない。何を悩んでいたのか、将来何をやりたいと思っていたのか、とか全くわからない。同じように今から10、12年後に中年になった時、今のことはほとんど覚えていないのかな。覚えているような気もするし、覚えていないような気もする。

 

 今している努力が目標につながるのかわからなくて、とてもふわふわした中で色々とやっている。やっている時はそれに一生懸命だけどそれ以外の時間のにあれこれ逡巡してしまう。まあでもやらないよりはやったほうがいいだろう。

pool

高杉晋作ばりのオモシロ主義者

 

恋愛ルサンチマン

 

この瞬間を楽しみたい。でも、この瞬間には惑わされない

 

生と死は両極にあるものではなく、隣り合わせにあるようなものだ

 

大丈夫って自分で決めることだから、自分で大丈夫にするしかないよ

 

人生の選択において完璧な正解や完全な間違いはあるのだろうか

 

神なんてものは世界のどこにもいない。唯一、自分の中にいる。あなたからみれば、あなたの中にいる。そういうものだろう?

自分の中の神を呼び出し、支配する儀式、それが努力というものだろう?

俺はその儀式を欠かさなかった。それだけだ。

 

Girl meets NUMBER GIRL

昨日、知り合いの方に外科手技の練習方法を教えて頂いた。もの凄く勉強になった。立場のある人なので緊張して汗をかいた。臭くなかったことを願う。

 1日、三十分外科手技の練習にあてることに決めた。甘い設定だが、継続することを優先した。十五年後に自分の選んだ領域で、一流になっていることをイメージして日々、トレーニングを継続する。その瞬間のモチベーションなんか関係なく、毎日決めたセットをただ繰り返していく。そして日々理想の自分に近づいていく。