reborn

 自分が、時間の過ぎるはやさに追いついていないなと感じる時が時々ある。ある出来事についてなんとなくぼぉっと考えて生活していて、はたと気づくとそれが起きてから随分と日が経過していたことがけっこうある。周りからみれば些末であろうことに固執していたことを内省し、この内省も大した意味がないんだろうなと思いながら僕は周囲とのズレみたいなものを感じとってしまう。普段からそれはおそらくそこにあるんだろうけど、時々それは実感として僕の周りに浮かび上がってくる。まるで全ての家具がミニチュアサイズになっている部屋にほうりこまれてしまったような奇妙な違和感と居心地の悪さを僕は感じ、なんとなく何事に対しても億劫になってしまう。

 自分の歯車と世間の歯車がうまく噛み合っていないように感じて、でも無理にはめてしまえば一応回ってはくれるからそれでいいやとなってしまうけど自分の歯車を自分で回してるという気が全くしなくて嫌な気持ちになる。自分の歯車を回す力の源はどこなんだろうと思って自分と噛み合っている(ように見える)歯車、それに噛み合っている幾つかの歯車、その先の歯車‥‥と辿っていっても結局何も見えてこないしかえって、問題はぼんやりとしてしまい、さらには霧散してしまいそうになる。その実態が掴み取れなくてもその存在は感じてしまうし僕は嫌な違和感を振り払うために立ち止まるのだけど、その間に僕の傍観している人たちは前に進んだり、後ろに進んだり、成果は人それぞれだろうけど何かしら行動できるってことは、それだけで僕にとっては眩しくて、また自分と周りとのズレが拡がってしまったなぁと思う。何もしなくても時間は平等に過ぎていって、自分の一部も外側から朽ちていくのかもしれないな、と感じている。その分、同じだけ再生したり産まれ出てくれてるといいんだけれど。